オリジナルTシャツネット

OriginalT-ShirtNET

Tシャツの歴史について

21世紀の現代、Tシャツは世界中の人々に着られているメジャーなものとなっていますが、その歴史や定義はあまり知られていません。
おわかりのように両袖を左右に広げたときにTの字に見えることからTシャツと言われています。
Tシャツの誕生
Tシャツの始まりは、第一次世界大戦のさなか、1914年のことといわれます。

当時、アメリカ兵に支給されていた制服は重くて厚いウール素材で、着心地が悪く夏の暑さには全く適していなかったようです。一方、ヨーロッパ兵の制服は、綿素材のアンダーウェア(肌着)を着用して、夏を快適に過ごしていました。これをまねてアメリカ兵が作ってみた綿シャツがTシャツの原型と言われています。ウールの厚手の制服とは比較にならない快適さに驚いた兵士たちはこのシャツを制服のひとつに採用するよう上層部へ提案し、アメリカ軍の公式肌着として認められたわけです。

1920年代になると、「T-Shirts」という言葉が辞書に収載され、アメリカ言語の公用語として認知されるようになりました。また、第二次世界大戦ではアメリカ陸海軍の標準アンダーウェアとしてTシャツが取り入れられています。でも、このときのTシャツはまだアンダーウエアという認識の物でしかなかったようです。
Tシャツの普及
一般的に「Tシャツ」して普及したきっかけは、第二次世界大戦後、当時男性用下着として着用されていたTシャツを、復員学生が上着無しで着続けたため、アウターとして定着したと言われています。そしてアウターとして定着したのちは、アメリカの大学の体育の授業で、スポーツ着として貸し出されるようになりました。そのため、学生達がきちんとTシャツを返却するように番号をプリントしたのが、プリントTシャツのきっかけと言われています。

1934年には一般学生の間でもこのプリントTシャツが人気となり、校章や学校名の入ったTシャツが大学の生協で売り出されました。1939年に入ると映画の宣伝用として作られ、60年代に入るとアメリカでは大手企業のロゴをプリントし、広告用として広まりました。ロゴTシャツは一種のコミュニケーションツールとなり、70年代カウンターカルチャーに後押しされて、各種ロゴや大手の企業をもじったパロディデザインのTシャツも出現してきました。

1980年代以降もTシャツはさらに進化し、さまざまなデザインプリントを施されてアパレル産業の中心的アイテムという確固たる地位を築きました。そして現在では、そのシンプルさゆえに年齢や性別を問わず、世界中の人々に愛されています。Tシャツは服飾という枠を超え、水泳の北島康介も施したようなメッセージを伝えるキャンバスとしてや、アートとしてなど、今ではただのファッションではくくれない大きな存在へと変化してきたのです。
ファッションとしてのTシャツ
Tシャツがファッションとして受け入れられるようになったのは、アメリカ映画界のスーパースターたち、ジョン・ウェインや、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンらが映画の中で着ていたことが、アメリカ国民に衝撃を与えてからといわれています。1951年の映画「欲望という名の電車」で破れたTシャツ姿、胸をさらけ出すファッションで登場するマーロン・ブランドや、1955年の「理由なき反抗」でジェームス・ディーンが真っ白のTシャツをカッコよく着こなしているシーンなどが若者たちの間で話題となりました。大人たちはアンダーウェア(下着)のまま登場した映画スターたちを批判しましたが、逆に若者たちはそれを反抗と若さの象徴として受け入れ、一気に大ブームとなっていきました。このころから、一般的に胸元に文字が印刷されるTシャツが用いられるようになったのです。
音楽やアートの世界への広がり
1960年代後半から起こったヒッピーたちによる「愛と平和運動」から、ロンドンを発祥の地として70年代半ばに生まれたパンクカルチャーが音楽シーンにとても大きく関わっていきました。ロックミュージシャンたちがブームを盛り上げたこともこの時代の大きな特徴で、反逆を表す黒はロックミュージシャンやバイカーたちに愛され、プリントされたメッセージも挑戦的でインパクトのある言葉が使われたのです。

音楽面だけでなく、アートとして活用するアーティストが出現。こぞって作品発表の道具として使い始めたことから、アートTシャツが普及し始めました。日本では、アニメやマンガをモチーフとしたキャラクター作品をプリントして販売することによりポップアートを継承しました。

こうした流れのなかで、音楽・アートとTシャツは自然と結びつくようになり、コンサート会場で売られているツアーグッズやアートとして美術館でも販売され、大きなマーケットとなりました。また視覚芸術の分野でも多く登場するようになったことから、必然的にマーケットとアートという付加価値を得たため、ファッションブランド業界でも彼らアーティスト達を起用することが新しい常識となっていったのです。
日本のTシャツの普及
日本でのTシャツは、1940年頃アメリカのカジュアルウェアとして紹介されたことからはじまりました。

その後映画「太陽の季節」で登場する主人公をまねた、石原慎太朗刈り、アロハシャツ、サングラスにTシャツというファションが流行し、そのファッションを好んだ太陽族と言われる若者たちによってTシャツが着られるようになり、ヒッピー文化が花開いた1966年頃のから一般に着られるようになりました。ヒッピーは反社会的反体制的な社会をするため反抗のシンボルであるスーツを否定し、安くて実用的なTシャツとジーンズを選んでいました。この、ヒッピースタイルによりデザインは絞り染め、さまざまな色、ストライプが登場してきました。

現代では学生を中心とした若者の普段着としてだけでなく、小さなお子さんからご年配の方までどなたでもといった感じで、様々な用途で登場する一大文化としてすっかり定着しています。
現代のTシャツとオリジナルTシャツの普及
現在ではパソコン上で作成したデザインデータをそのままウェアにプリントできるようになり、自分のデザインしたものが簡単にTシャツにプリントできることから、オリジナルTシャツがより身近な存在になってきました。技術的にはステンシル印刷からシルクスクリーン印刷が主流となり、さらに発泡・フロッキー・蓄光などのインクや艶出し紙なども充実し、ほとんどのプリント製品がこの方法で確立されました。また熱圧着でプリントしたものを転写する熱転写プリントも盛んに行われるようにもなっています。

時代背景による流行のおかげで、どんどん技術が発達し進化していくTシャツ。最近では特殊な繊維により作られた衣類上に、まるでTVのモニターのように映像を映し出す技術も研究されているとか。また医療分野でも、心拍数や呼吸回数、体温など感知するTシャツなども使われ始めているそうです。

男性用下着から、普段着への定着。そしてファッションや音楽・アートとして使われ、今や誰もが持っているTシャツ。最近では市販品購入するだけでなく、オリジナルTシャツを製作するということが普及し年々増加する傾向にあります。

サークルや学園祭、また企業では、イベントや販促品としてお店などではスタッフユニフォーム、家族おそろいや結婚式での使用など幅広い用途で、老若男女だれでもどこでもいつでも使われているといっても過言ではないでしょう。